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仙台高等裁判所 昭和52年(ネ)395号 判決 1987年3月31日

控訴人兼附帯被控訴人

黒沼京子

控訴人兼附帯被控訴人

黒沼正則

控訴人兼附帯被控訴人

黒沼利明

右三名訴訟代理人弁護士

井上正治

小泉征一郎

丸田哲彦

鈴木宏一

前記三名補佐人

相澤力

遠藤仁

被控訴人兼附帯控訴人

右代表者法務大臣

遠藤要

右訴訟代理人弁護士

伊藤直之

同指定代理人

浅野正樹

外五名

主文

被控訴人兼附帯控訴人は、控訴人兼附帯被控訴人黒沼京子に対し金一四四三万四八八四円、同黒沼正則、同黒沼利明に対し各金一四一三万四八八四円及び右三名の各金員に対する昭和四五年四月一四日以降完済までの年五分の割合による金員の支払をせよ。

控訴人兼附帯被控訴人らのその余の主位的請求を棄却する。

被控訴人兼附帯控訴人に対し、控訴人兼附帯被控訴人黒沼京子は金一八三七万六〇五七円、同黒沼正則、同黒沼利明は各金一五二〇万五五二二円及び右三名とも各金員に対する昭和五二年一一月八日以降完済までの年五分の割合による金員の支払をせよ。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを一〇分し、その七を控訴人兼附帯被控訴人らの、その余を被控訴人兼附帯控訴人の各負担とする。

事実

第一  申立

控訴人兼附帯被控訴人(以下、理由欄も含めて、単に「控訴人」という)らは、当審で請求を拡張した上で、主位的に、「被控訴人兼附帯控訴人(以下、同じく単に「被控訴人」という)は、控訴人黒沼京子に対し金四九七三万三九二九円、同黒沼正則、同黒沼利明に対し各金四九三八万八九二九円及び右各金員に対する昭和四五年四月一四日以降完済までの年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を、予備的に、「原判決を次のとおり変更する。被控訴人は、控訴人黒沼京子に対し金一九〇六万七二六二円、同黒沼正則、同黒沼利明に対し各金一八七二万二二六二円及び右各金員に対する前同日以降完済までの同割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、附帯控訴に対してはこの棄却を求めた。

被控訴人は、控訴人らの訴変更の不許を申し立てたほか、その控訴及び当審で拡張された請求を棄却する旨の判決を求め、附帯控訴として、「原判決中被控訴人敗訴の部分を取消す。控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも控訴人らの負担とする。」との判決を求め、控訴人らが原判決に基づいてした仮執行の原状回復請求として、主文第三項同旨の判決及び仮執行の宣言を求めた。

第二  主張

(控訴人らの請求併合態様の変更)

控訴人らは、原審では被控訴人の債務不履行による損害賠償請求と不法行為によるそれとを選択的に併合してきたが、当審では請求併合の態様を変更し、不法行為によるものを主位的請求、債務不履行によるものを予備的請求とした。

(控訴人らの主位的請求原因――不法行為)

一  原判決事実摘示中に請求原因及び原告の反論として記載されているもののうち、以下の記述と齟齬しない部分は全部ここに引用する(予備的請求原因についても同様である)。

二  訴外鳥飼龍生は、昭和四五年三月当時、国立東北大学医学部教授兼同学部附属病院第二内科科長であり、同斎藤慎太郎、斎藤毅、布川喬、出村博、村田輝紀は、当時いずれも同内科所属の医師であつた。なお、亡黒沼正五郎(以下、「本件患者」又は原判決の如く単に「正五郎」という)の主治医は右斎藤慎太郎医師であつた。

三  右医師らは、本件患者に対し左記六件の人体実験を実施した。

A 昭和四五年三月二六日斎藤毅医師がした糖負荷試験(以下「A検査」という)

B 同月二八日斎藤慎太郎医師がした血液二〇ccの採取(以下「B検査」という)

C 同年四月三日布川喬医師と出村博医師がしたインスリン負荷試験(以下「C検査」という)

D 同月七日右両医師がしたアルギニン負荷試験(以下「D検査」という)

E 同月八日村田輝紀医師がしたインスリン・ぶどう糖負荷試験(以下「E検査」という)

F 同月一三日同医師がしたインスリン・ぶどう糖負荷試験(以下「F検査」という)

四  原審で主張したとおり、本件患者については、その入院当時もしくはその後間もなく、同人からの病歴聴取により、甲状腺機能亢進症に伴う周期性四肢麻痺であるとの診断がついていたのであるから、右AないしFの各検査はいずれも本件患者の診断と治療にとつて必要のないものであつたのに、右医師らはそれぞれの研究上の目的と興味からこれらの検査をしたのである。

右の目的ないし興味というのは、以下のようなものである。

A検査の場合

糖負荷試験は本来糖尿病の疑いのある患者に対してのみ実施されれば足りるのであり、甲状腺機能亢進症の患者の大部分に対し一律に実施する必要はないのであるが、甲状腺機能亢進症に伴う周期性四肢麻痺という珍しい疾患につき糖負荷時の血漿免疫反応インスリンの変化に関する新知見を得る目的があつたからである。このことは、糖負荷試験は主治医の指示のもとに中央検査部で行なわれるのが通常であるのに、本件では第二内科第一〇研究班(糖尿病班)の斎藤毅医師の指示に基づき右研究室で測定がなされていることおよびカルテには本検査が実施されたことやその結果の記載もなく、検査票の貼付もないことから明らかである。

B検査の場合

本件患者に対する血液検査として予定されていたのはトリオソルブテスト(血中甲状腺ホルモン定量法)だけであり、これに必要な血液量は約二・五ccである。ところが、当時右第二内科では出村博医師を中心に、ラジオイムノアツセイ法により、従来測定できなかつた諸種のホルモンの正確な測定が可能となりつつあつたため、より精細な測定法が後日開発、導入される場合に備えて、甲状腺機能亢進症に伴う周期性四肢麻痺という稀な疾患において、血液中の諸ホルモンがどのように変化しているかとの、研究者にとつて是非とも知りたい点の検体を冷凍保存し、蓄積しておく必要があつたのである。

C、D検査の場合

当時、右二検査は甲状腺機能亢進症の診断、治療に必要であるとはされておらず、近い将来においても同症や周期性四肢麻痺の診療に役立つ見込みもなかつたのであるが、出村博医師を含む内分泌研究者らは、前記ラジオイムノアツセイ法を用いての測定により、他に先駆けて多数の新知見を得ようとしていたのと、大学院研究生として在籍していた布川喬に博士論文の作成資料を得させるため、これらの検査をしたのである。

E、F検査の場合

村田輝紀医師は、第二内科の血液研究班に参加していて、昭和四四年暮頃から周期性四肢麻痺発作時における血液中の電解質、水分の移動について関心を抱いており、とりわけ、その際には血液中から体細胞内への水分の移動が重要な意味をもつのではないかとの仮説をたてていた。当時は周期性四肢麻痺がどのようにして発生するのかが殆ど解明されていなかつたため、血液学分野のほか、脳波、心電図、筋肉組織の研究等、諸々の分野で研究され、多数の論文が続々と発表されていた。このような状況下で、自己の仮説を実証してみたいとの強い学問的関心を抱いていた同医師は、本件患者の存在を知るや直ちに、主治医の斎藤医師に対し、麻痺誘発試験を実施させて貰いたいと申し出た。当時本件患者の診断は既に終了し、甲状腺機能亢進症の治療のため放射線科に移ることが決まつてその準備が進められていたのであるが、同主治医は村田医師の意図を承知しながら右申出に同意したのである。村田医師が行なおうとしたのは、前記仮説を実証するためにマニトールを使用することであつた。マニトールは血液の浸透圧を上げ、細胞内の水分の細胞外に引き出す作用をする薬剤である。しかし、従来の医学文献上、これが周期性四肢麻痺発作の治療に有効であるとの記載は全くなかつた上、これを使用することは右主治医にも知らされていなかつた。

そして、村田医師は実際にマニトールを正五郎に対して使用した。このことは、もともとE、F検査はマニトール投与を目的とし、その効果を試すためのものであつたこと、第一回のE検査では麻痺の程度が不十分であつたため使用されなかつたが、第二回のF検査ではマニトールを試すのに十分なだけの強力な麻痺が発生したこと、最高度に強い麻痺が約一時間持続するという村田基準に合致した状態になつたこと(同医師は、このような状態下でマニトールを投与することにより、瞬時に劇的に麻痺の改善が得られると考えていた)、マニトールの効果を確認するには、その前に細胞内への水分の移動を確かめておく必要があるが、ヘマトクリツトによりこの確認がなされていること、診療報酬請求明細書(甲第一二号証の二)にマニトールを使用したことを明示しその費用を請求していること、マニトールを使用したと考えられる時刻に正五郎の容態が急変していること、以上の事実を総合して明らかなところである。

マニトールが投与されたのは午後一時少し過ぎの頃と思われる。それは、村田基準のいう握力の最低値が一時間ほど持続した時に合致しており、午後一時のへマトクリツト値は四二から四六に上昇し、水分が細胞内に移動したことが確かめられ、その他甲第五号証の一八記載の諸数値もマニトールを使用した場合の数値と合致しているからである。

五  医学と医療の進歩のためには人体実験も時に必要とされるが、それは、被験者の生命と人権、換言すれば人間の尊厳に対する重大な侵害行為になりかねないものであるから、これが許容されるためには、十分な検討と用意が行なわれることと、後記の厳格な要件を具備していることが不可欠である。

人体実験と医療過誤とは混同されがちであるが、後者が医療行為、すなわち患者の診断と治療する過程における過誤の問題であるのに対し、前者は患者の診断治療を目的としない研究のための行為であるから、両者は別個に論じられなければならない。医療過誤の場合は、行為自体は診療行為として法的に是認されており、その過程に過誤が生じ、損害が発生した場合にのみ問題とされるのである。一方、人体実験は、過程や結果の問題ではなく、原則として実施することそれ自体が悪であり、人間の尊厳に対する犯罪なのである。

右の如き意味を有する人体実験の違法性が阻却され、行為者が免責されるための要件を考えるに当つては、一九四七年のニユールンベルグ綱領と一九六四年の世界医師会議が勧告したヘルシンキ宣言に盛られている準則が最低限の規準として適用されるべきである。

この綱領と準則に基づき、右の要件を本件との関連において掲げると、(1) 人体実験を実施しようとするその研究内容自体が科学的客観性に裏付けられたものであること、(2) 第三者による検討と監視がなされ、実施手続の客観性が保障されていること、(3) その実験から得られる利益と、予想される危険を慎重に比較考量した上でなされること、(4) インフオームド・コンセント、すなわち被験者がその実験の目的、方法、予想される効果と危険性などについて十分知らされた上で、自由意思によつて与える同意があること、以上の四つである。

ところが、右AないしFの各検査は前記の如くいずれも本件患者の診断、治療にとつて必要のない、「治療と関係のないヒトにおける生体医学研究」(ヘルシンキ宣言のいう「非臨床実験」)に該当するのみならず、右の各要件をも充足していないので、明らかに違法な人体実験であるといわなければならない。必要性の点に関し、被控訴人は種々説明をしているが、いずれも弁解、強弁、詭弁の域を出るものではない。被控訴人の主張によると、本件疾病については麻痺発作時に血液中のカリウムが低下する場合(低カリウム血症)と、上昇する場合(高カリウム血症)とがあり、そのいずれであるかを確定するためにE、Fの検査が必要であつたというのであるが、甲状腺機能亢進症に伴う周期性四肢麻痺においては、低カリウム血症以外のものは稀有であり、したがつて、このような検査による確定をしなくても、対症療法として発作時にカリウム剤を投与すれば足りるのである。あくまでも正確な診断をつけたいというのであれば、脱力発作時に採血検査をすることにより直ちに判定することができるわけである。

次に、前記要件についていうと、殊に村田医師のしたF検査は、一、二の文献を見て思いついた仮説をろくに検討もせずに直ちに試そうとした点で(1)の要件を、鳥飼教授らに知らせずにした点で(2)の要件を具備しておらず、またC、E、F検査のインスリン負荷試験は急速に血糖を下降させ、生体にストレスを加えるものであるため、被験者、殊に代謝亢進に伴い心臓に過大な負担がかかつていた本件患者にとつては大きな危険があつた上、そこにF検査でマニトールを負荷すれば更に危険が増大する点で(3)の要件に違反し、CないしF検査、特にF検査においては、実験の目的や危険性及び使用予定の薬品マニトールについて一切秘匿した虚偽の説明をした点で(4)の要件を完全に欠いている。

被控訴人は、F検査でマニトールは結局使用されなかつたと主張するが、実際に使用されたことは前記のとおり明らかであり、松島鑑定意見等によつても裏付けられるところである。また、村田輝紀医師の証言によれば、インスリン・ぶどう糖負荷試験によつて強度の麻痺を誘発し、塩化カリウムを投与しても麻痺が改善されないような状態になつて、患者がそろそろ治してくれと訴えた場合に、始めて本件患者にマニトール投与についての説明をしてその承諾をとるつもりであつたというのであるが、明らかな破綻と矛盾がある。生命に危険が及ぶほどになつた時、「先生助けて下さい」と訴えられた時にマニトールのことについて患者に説明するということほど不可解なことはない。

よつて、A検査をした斎藤毅医師とこれに同意を与えた斎藤慎太郎医師は民法七一九条、B検査をした斎藤慎太郎医師は同法七〇九条、C、D検査をした出村、布川医師とこれに同意を与えた斎藤慎太郎医師は同法七一九条、E、F検査をした村田医師とこれに同意を与えた斎藤慎太郎医師は同法七一九条により、各検査ごとにそれぞれ故意による不法行為責任を負い、鳥飼医師は大学病院第二内科長として、右医師らの使用者たる被控訴人に代り診療事業を監督する者であつたから、同法七一五条の代理監督者としての責任を負つている。本訴訟で控訴人らが被控訴人に対して追及しているのは、右各不法行為を前提とする同法七一五条に基づく使用者責任である。

付言するに、本件で特に留意すべきことは、これを一つの医学論争として捉えてはならないという点である。医学論争であれば、科学性と客観性がある筈であるが、前記各検査にはこれらが存在せず、特に村田医師のした行為は前述の如く単なる思いつきが動機なのであるから科学性などありえないところであり、主治医を始め他の医師による検討もなされていないので客観性もない。科学性も客観性も具備していないものは、医学論争の相手方とはなりえないのである。

六  本件患者黒沼正五郎は、右の如く不必要且つ違法な人体実験により死亡させられたのであるが、かかる非人道的な行為が大学病院で繰返される原因として、第一に、実験する側とされる側との力関係、すなわち医師と患者との間では常に医師が患者を支配し、患者は病気を治して貰うために一身を医師に預けているという状況があること、第二に、大学病院における研究至上主義から、患者を研究、教育の材料として見る傾向が強いこと、第三に、大学病院内における相互批判の排除、教授の権力の強大化、第四に、実験の場のもつ密室性などが指摘されている。

このように、人体実験は医師が患者に対して有している絶大な支配権を濫用し、患者が寄せている信頼を裏切つて行なわれる犯罪行為であつて、その反道徳性、違法性はまことに顕著であるといわなければならない。

七  損害

1 正五郎の逸失利益 二八八四万〇六八六円

この点の基礎となる事実と金額等は原判決当該欄(一三枚目裏末行から一四枚目裏一〇行目まで)に記載のとおりであるが、稼働可能年数を死亡当日から二二年間、生活費割合を年間所得の二〇パーセントとして、次の算式より計算した。生活費割合を二〇パーセントとしたのは、本件の如き家族構成の給与所得者の場合には、賞与等を除いた年間所得の三〇パーセントとするのが通常であるが、本件の所得額の中には賞与に相当する分も含まれていることを考慮したためである。

A 昭和45年4月13日から50年4月12日までの5年間

(1部当りの拡張料320円×拡張部数3471)×0.8×4.3643=387万8012円

B 昭和50年4月13日から67年4月12日までの17年間

(880円×3471部)×0.8×(14.580−4.36437)=2496万2676円

A+B=2884万0688円

2 正五郎の慰藉料 一億円

右は精神的損害に対する通常の慰藉料のほかに、前記各人体実験の非行性、反倫理性を理由に、これらの行為者、責任者に制裁を加えることによつて同種行為の発生予防を目的とする制裁的慰藉料を含むものである。慰藉料に右二つの機能があることは、英米法を始め西ドイツ法でも明確に認められており、フランス法においても慰藉料に制裁的意味を求めることは決して異質なこととはされていないのである。社会生活上非難され、抑制されるべき行為は数多くあるが、その総てが刑罰の対象となつているわけではないし、刑罰を課するのが相当でないものも存在する。このような間隙を補填するには、まさに不法行為法が制裁的機能を果すことが是非必要である。我国の判例においても、故意と重過失その他の単なる過失との間には被害者の満足という点において、軽重の区別をする取扱いがなされている。

3 相続 正五郎の逸失利益及び慰藉料合計一億二八八四万〇六八六円につき、控訴人らは正五郎の妻及び子として各自その三分の一に相当する四二九四万六八九五円の請求権を相続により取得した。

4 葬祭費 三〇万円(支出者たる控訴人京子の損害)

5 弁護士費用 合計一九三七万一一〇二円

控訴人らは、控訴審での勝訴を条件として、認容額の一割五分を弁護士費用として支払う旨約した。よつて、被控訴人に負担させるべき右費用は、控訴人京子につき六四八万七〇三四円、同正則、同利明につき各六四四万二〇三四円である。

6 以上のとおりであるから、民法七一五条に基づき、被控訴人に対し、控訴人京子は金四九七三万三九二九円、同正則、同利明は各金四九三八万八九二九円及び右各金員に対する本件不法行為の日の翌日である昭和四五年四月一四日以降完済までの民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(控訴人らの予備的請求原因――債務不履行)

一  前述のとおり予備的請求原因についても主位的請求原因についてと同様の趣旨で原判決を引用するが、被控訴人は、正五郎との既述準委任契約の本旨に従い、善良な管理者の注意をもつて適切な診断と治療をなすべき義務を負い、且つ、右契約の本旨を外れて、研究目的などで正五郎を人体実験の対象としてはならない契約上の義務を負つていた。

しかるに、被控訴人の被用者たる前記六名の医師は右義務に違反して同六件の人体実験をなし、しかもF検査により遂に正五郎を死亡させてしまつた。このほか、被控訴人には控訴人らが原審以来主張してきた債務不履行もある。

二  損害

1 正五郎の逸失利益 二八八四万〇六八六円(主位的請求と同じ)

2 同人の慰藉料 二〇〇〇万円

3 相続 正五郎の逸失利益及び慰藉料合計四八八四万〇六八六円につき、控訴人らは各自その三分の一に相当する一六二八万〇二二八円の請求権を相続により取得した。

4 葬祭費 三〇万円(主位的請求と同じ)

5 弁護士費用 控訴人京子につき二四八万七〇三四円、同正則、同利明につき各二四四万二〇三四円(いずれも認容額の一割五分)、合計七三七万一一〇二円

6 よつて、被控訴人に対し、控訴人京子は金一九〇六万七二六二円、同正則、同利明は各金一八七二万二二六二円及び各金員に対する同じく昭和四五年四月一四日以降完済までの前同割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求併合の態様変更に対する被控訴人の変更不許申立理由)

控訴人らの右変更は、その結果として、一審で訴訟物とされた債務不履行に基づく損害賠償請求を条件付ながら実質的に取下げることと同じであるから、相手方の同意を要すると解すべきところ、被控訴人が右変更に異議を述べたことは控訴人らの昭和五三年六月一四日付準備書面によつても明らかであるから、結局許されないところというべきである。

又控訴人らは、原判決の仮執行宣言に基づく強制執行を了しているが、仮に当審での主位的請求が認容されると、右仮執行の結果とは別に、二重に執行することが可能となる。被控訴人の利益を著しく害する恣意的な訴訟行為として信義則に反し、この点からも右請求併合態様変更の不当性は明らかである。

(請求原因に対する被控訴人の答弁と反論)

以下に付加するほかは原判決事実摘示の当該欄(一六枚目表九行目から三六枚目表七行目まで)の記載と同じであるから、これを引用する。

一  本件AないしFの各検査が実施されたことは認めるが、控訴人ら主張の如き研究目的や興味でしたとの点は否認する。もとより、人体実験などではない。

二  A検査は、早朝空腹時にぶどう糖液(ぶどう糖一〇〇グラム含有)を飲ませ、血液中のぶどう糖濃度の変動を見るものである。よく知られている疾患を例にあげれば、糖尿病患者では正常人と比較して、空腹時は血糖値が高く、且つぶどう糖負荷後の血糖上昇が著明で回復も遅延する。危険は全くなく、一般の病院及び診療所で日常的に外来で実施されている検査である。

甲状腺機能亢進症にあつては、各種物質の代謝に異常が起こるので、これについての検査が施行され、A検査はその一つである。本症の三〇%では真の糖尿病型血糖曲線を呈し、明らかな耐糖能の異常を示す。これらの異常は、多くは甲状腺機能の改善とともに正常化するが、本症の二・五%に真の糖尿病が合併している。

本件患者の場合、早朝尿の検査では尿糖は陰性であつたが、これだけでは耐糖能の異常を知ることはできず、ぶどう糖経口負荷試験によつて血糖曲線を調べることが病態を把握する上で必要であつた。

三  B検査で採取した血液は、血中の甲状腺ホルモンを測定するためのものであり、本症にこの測定が必要であるのはいうまでもない。約二〇ccの血液から得られる検体としての血清は約八cc、このうち三ccは冷凍保存用である。第二内科に入院した全患者について実施しており、患者の経過に何等かの異常が見られた場合、新たに施行したホルモン等の測定値がどのように変化したか比較する基準試料となるべきものである。残りはトリオソルブ(甲状腺ホルモン定量法の一種)の測定に用い、もしこれが臨床所見と合致しない場合は、更に詳細なホルモン分析を行なうための試料となる。その都度採血するよりも一回で済ます方が患者の痛みも少なく合理的である。

四  C検査により血糖が低下し、D検査により血中アルギニン濃度が上昇するが、これらが刺激となり下垂体ホルモン、特に成長ホルモン、副賢皮質刺激ホルモン等が分泌されるので、下垂体がどの程度の予備能を有しているかが判明する。このように、C、D検査は甲状腺機能亢進症において相互に複雑にからみ合つている他の内分泌腺の機能、特に下垂体副賢系機能を明らかにすることにより治療後の治癒の判定を確実にする目的で実施したのである。出村、布川両医師は主治医の許可を得るとともに、事前に本件患者にこの検査の意義、方法等について説明し、その承諾を受けた。なお、ここで用いた量のインスリンでは危険な副作用は見られず、アルギニンでも見るべき副作用はない。

五  E、F検査の必要性と目的は原審当時詳述したとおりであるが、多少補足する。

甲状腺機能亢進症に伴う周期性四肢麻痺につき、本邦では、低カリウム血症以外のものは昭和三八年に一例、四二年、四三年にそれぞれ一例づつ報告があり、以後昭和四九年までに更に三例報告されている。甲状腺機能亢進症に伴う周期性四肢麻痺そのものが比較的稀な疾患であることからすれば、かなりの頻度で存在することが窺われるので、低カリウム血症以外のものは稀であるからそれを考慮しなくともよいということにはならない。

近代医学は正しい診断及び病態生理の解明の上に治療が構築されるべきものであり、診断と治療の実際において可能な限りこのように努めることが教育、研究、診療を三本の柱として運営されている大学医学部附属病院の責務である。したがつて、診断について可能性の多少や推認のみで足りるとすることはできない。

仮に、入院中発作が起こらず、誘発試験も実施せず退院した後に自宅等で発作が起きたとすると、これは多く夜間又は早朝に起きるので、往診した医師が本症を疑つた場合に、採血して血清カリウム値を測定して始めて本症の診断が確定するということになる。しかるに、以前本件患者を診察した他の医師二名とも全く本症であることを考慮していなかつた。また、このような処置を往診先の患家で実施することは本疾患について十分な認識をもつた医師でなければ不可能であろう。退院後地元の主治医が適切な治療をなしうるようにする必要があつたのである。

控訴人らは本症の自然発作時に安静にしていれば間もなく回復し何等危険がないというが、対症療法を施さなかつたため心不全あるいは呼吸麻痺によつて死亡した例が少なくとも三五例報告されている。また、里吉教授が「甲状腺中毒症を合併している場合は自然発作時に急性心筋障害で死亡することがある」と述べていることや、本件患者がF検査中通常見ることのできない急激な心不全を来し死亡したことからすると、同人の場合自然発作によつて死亡する可能性があつたのである。控訴人らの右見解は楽観的に過ぎる。

<証拠>にある死亡例は重複しているので結局二例であり、これら二件の経過が比較的詳細に記載されている右三三、三五号証は市販されていない紀要的なものであり、普通は一般に読まれてはおらず、被控訴人側医師は当時知らなかつたし、控訴人らも原審当時には提出できなかつたのである。この点を除外しても、右紹介にかかる二例ともインスリン・ぶどう糖負荷試験により死亡した周期性四肢麻痺の症例には該当しないものである。すなわち、一つは胸腺という特異体質が基礎となつているほか、二回にわたつてインスリンを追加投与した点で本疾患の標準的誘発方法と異なる方法がとられており、他の一つは重症筋無力症の患者の胸腺死と見るべきものであるからである。

控訴人らが村田医師の「仮説」であるとしている考え方は、里吉教授が臨床上これを認め、公刊の文献に発表していたことであり、村田医師が自己の仮説として実証に力を尽くすべきものとは言えなかつたのである。

六  F検査当日、中途で検査を中止し回復措置をとるべきであつたか否かについて

原審鑑定人里吉栄二郎は、(1)この誘発試験によつて明らかな麻痺が起こつた場合、(2)上下肢殊に下肢に中等度以上の明らかな弛緩性麻痺(握力が試験開始時の半分以下ないし一〇キログラム以下になるか、下肢を上げることができず、起立、歩行が不可能となつた時)を認めた時には、塩化カリ投与による回復措置を早めに行なわないと、効果が現れるまでに麻痺が進行してしまうので、できるだけ速やかに始める必要がある、との見解を示した。しかし、麻痺は前駆症状ののち徐々に発症するので、不完全麻痺のままで終わるのかどうか予測がつかないのに加えて、昭和四五年当時、(2)の括弧内の程度で直ちに塩化カリ投与による回復措置をとらなければならないとの認識はなかつた。また同鑑定は、(3)麻痺がなくても副作用として、激しい頭痛とともに悪心、嘔吐が起き頻脈や不整脈が起きたりして、試験完了まで耐えられないような一般状態の悪化が生じた時、(4)或いは、急激な麻痺出現とともに、不整脈、完全房室ブロック、呼吸困難が起きた時には検査を中止して回復措置をとるべきであるともいう。呼吸困難が起きた時については異論はないが、激しい頭痛とともに悪心、嘔吐が起きた時については当時そのようには言われていなかつた。それ以外の頻脈、不整脈、房室ブロックが起きた場合も、被控訴人提出の資料、文献上は無事故のまま終了している事例が数多く報告され、少くともこれらによる事故発生の報告がなされていないことが明らかである。したがつて、右見解に基づいて判断するのは正しいこととは言い難い。

まして、村田証人の証言によつても明らかなとおり、午前一一時四〇分から午後一時三〇分までは本件患者の状態は安定していたので、右のような措置は不要であつた。

以上の理由のほか、被控訴人が従来主張してきたところからして、被控訴人には債務不履行も不法行為もないので、原判決は取消されるべきである。

七  死因について

控訴人らは、本件患者の死因に呼吸筋麻痺も加わつているとの資料を提出しているが、その場合の握力は零であり、また呼吸数の増加があるのに、本件ではいずれもその逆であるから、控訴人らの指摘は当たらない。

本件患者の午後一時三〇分すぎの状態は、何らかの特異体質によるショック状態に陥つたものと考えられる。

(消滅時効の抗弁)

控訴人らの主位的請求が理由のないものであることは上来述べたとおりであるが、このこととは別に、不法行為を理由とする損害賠償請求権につき消滅時効が完成しているので、被控訴人はこれを援用する。

1  控訴人らがAないしEの各検査につき加害者と損害を知つたのはこれらが実施された日時頃であるというべきであるから、始めて当審でこれらは不法行為であるとの主張をした時には既に三年の消滅時効期間は経過している。

2  仮にそうでないとしても、控訴人らの原審における昭和五一年一二月二八日付準備書面によれば、F検査が人体実験であることを知つたのは昭和四九年一〇月一四日施行の証人中里武の証言によるというのであり、且つ同証言は大学の研究至上主義的体質や鳥飼内科における検査の実態についても言及しているので、証言内容が事実と相違している点の多いことは別として、F検査と一連のものとして行なわれた他の検査についても、控訴人らは右証言の頃に1に記載したのと同様の認識をもつに至つたものと考えられるので、それから三年を経過した昭和五二年一〇月一四日頃にはいずれも消滅時効が完成した。

(被控訴人の仮執行原状回復申立の理由)

一  控訴人らは、原判決の仮執行宣言に基づき、昭和五二年一一月七日、仙台地方裁判所同年(執イ)第一三九八号として、被控訴人に対し次のとおり強制執行を了した。

1 控訴人京子の執行済債権額 一八三七万六〇五七円(内訳 元本一三四三万四八八四円、遅延損害金四九四万一一七三円)

2 同正則、同利明の右同 各一五二〇万五五二二円(内訳 元本一一一三万四八八四円、遅延損害金四〇七万〇六三八円)

二  よつて、被控訴人は民事訴訟法一九八条二項に基づき控訴人らに対し、仮執行の原状回復として、右各金員及びこれらに対する給付の日の翌日である昭和五二年一一月八日以降完済までの民事法定利率年五分の割合による損害金の支払を求める。

(右主張に対する控訴人らの答弁)認める。

第三  証拠<省略>

理由

(当事者間に争いのない事実)

控訴人京子の夫、同正則、同利明の父であつた本件患者黒沼正五郎は、昭和四五年三月一七日上下肢の発作的な麻痺を訴えて大学病院内科外来を訪れ、同月二三日同病院第二内科(当時の鳥飼内科)に入院した。入院後右の自然発作は起こらなかつたが、やがてアイソトープによるパセドウ病の治療を受けることになつていた。その間AないしEの各検査を受け、同年四月一三日F検査を実施された後、本件患者は急性心停止による死亡した。

(主位的請求について)

一請求併合態様変更の可否

控訴人らは、原審において債務不履行と不法行為を選択的な請求原因とし、前者の一部が認容されてこれにつき仮執行をした後、当審においては当初不法行為に基づく請求だけに改める旨の陳述をしたところ、債務不履行の主張の撤回(正しくは訴の取下)につき被控訴人から同意を得られなかつたため、主張欄冒頭記載の如くに請求併合の態様を改めた。一審当時選択的併合をして認容された請求を控訴審において予備的請求とするのは、その時点で無条件に訴を取下げるのとは異なるから、相手方の同意を必要としないというべきである。仮執行の宣言に基づく強制執行が終了している場合でも同様である。このことを理由に右の如き変更は許されるべきではないとする被控訴人の主張は、結局事実上の不都合をいうことに帰着するのであるが、実際的に考えても、仮に控訴審で主位的請求が認容される場合であつても、既に仮執行がなされている以上改めてこの宣言を付する必要性はないので、その意味でも二重に執行がなされるというような事態は殆ど考えられないところである。したがつて、被控訴人の右変更不許の申立は援用することができない。

二消滅時効の成否

控訴人らがAないしEの各検査につきこれらが人体実験としての不法行為であるとの理由による損害賠償の請求をしたのは、その当審における昭和五三年五月二六日付準備書面の記載によつてであるが、被控訴人は、控訴人らは昭和四九年一〇月一四日頃までにこれら検査の加害者及び損害を知つていたから右時効が既に完成したとしてこれを援用する。

成立に争いのない甲第五号証の一ないし二〇(診療記録)及び第八号証の一ないし四(医師指示書)にAないしEの各検査が実施された旨の記載があること、右書証は原審での送付嘱託により昭和四八年三月一二日法廷に呈示され、控訴人らが閲読しうるようになつたこと、昭和四九年一〇月一四日施行の原審証人中里武の証言中に本件患者は大学病院の研究第一主義の犠牲者であるとの趣旨の証言があること、以上の事実からすると、控訴人らは右日時頃各医師のした検査につき「加害者」と「損害」を知つたということができる。したがつて、右時効が完成したかの如くであるが、不法行為の個数如何は裁判所の判断事項であるところ、各検査が一回の入院という機会に時間的にも近接して実施されたことからして、且つ、個々の医師を被告とせずに大学病院の研究至上主義糾弾を動機として大学病院すなわち国を被告にしている本件訴訟においては、AないしEの各検査はFと包括された一個のものとして捉えるのが相当であるから、既にF検査を不法行為とする請求がなされていた以上、F以外についても右時効は未だ完成していないというべきである。

三人体実験であるとの主張について

AないしFの各検査は許容条件を満たしていない違法な人体実験であると控訴人らは主張する。どのような要件を具備すれば人体実験が許されるのかは、医学研究や医療に携わる者にとつての重要問題であるのにとどまらず、医療を受ける側の一般人としても重大な関心をもたざるをえない事柄である。人間の生命、身体及び人間の尊厳に対する侵害が医療行為の名の下に行なわれることがないように厳しく抑制されなければならないのは当然のことであり、そのために医学、医療の関係者がその職業倫理に基づいた妥当な規範ないし規準を設定し遵守することが喫緊事であるのは明らかである。

控訴人らは、規準に外れた人体実験は医師が患者に対して有している絶大な支配権を濫用し患者の信頼を裏切る、人間の尊厳に対する犯罪行為であり、医療過誤の如く結果やそれに至る過程の問題ではなく、原則として実施することそれ自体が悪なのであるという。したがつて右主張は、違法性阻却事由がなければ即不法行為責任が発生するとの、新たな不法行為類型の提唱として理解することができる。しかし、不法行為法上、結果の如何を問わず、損害の発生の有無に拘わらず、行為のみを理由として損害賠償責任の発生を認めることできないのは明らかである。結果すなわち損害の発生が要件の一つであり、損害とは、本件との関連でいえば本件患者が死亡したことに外ならず、そこから遡つて問題とされている行為との間に因果関係ありとなしうるか、行為者に故意過失があつたということができるか等々の要件を吟味する以外になく、又それで足りるのである。右の故意とは死亡という結果の容認、過失とは不注意による結果の見誤り、ないし為しえた結果回避義務を尽くさなかつたことであり、いずれも「行為」が右認識等の対象とされているのではない。控訴人らはこの行為やその動機、目的に原因事実としてのもの以上の意味付けをしようとしているかの如くであるが、慰藉料算定の際の斟酌事情としてであればともかく、不法行為の構成要件の存否を判断するに当つては無用のことである。故に、控訴人らの主張に添つて新たな不法行為類型を想定しその成否を問題とするのではなしに、本件も一般の不法行為事件として扱うべきものである。なお、控訴人らは当審においては問題とする行為の違法性、反道徳性に力点を置いた主張立証をしたが、原審当時の主張の中に右一般要件についての主張がなされているので特に支障はない。

このような前提のもとに観望するに、本件患者が死亡したことと因果関係あるやに見える行為は控訴人らの主張によつてもF検査だけである。AないしEの各検査の実施が本件患者に傷害或いは苦痛を与えたとしても、控訴人らにおいて明示的にはそれを損害とする主張をしておらず、また、消滅時効の成否について判示したように、AないしEの各検査はF検査と包括された一個のものとして捉えるべきであり、且つ、死亡という最大、極限の結果を前にしてはそれ以外の傷害ないし苦痛による損害はこれに吸収され、事情として参酌すれば足りるといいうるから、以下主としてF検査が不法行為に該当するかどうかについて検討を進めることとする。

四本件患者の入院までの状況とその後の経過

<証拠>を総合すれば、次に付加訂正するもののほかは原判決四四枚目裏五行目から五〇枚目表二行目までの記載と同じ事実を認めることができるので、これを引用する。

1  原判決四六枚目裏末行の「七、八回あり」の次の「意識、言語の障害はなかつたが、」を加え、四七枚目裏六行目の「トリオスル」を「トリオソルブ」と改め、同面末行の「その後」から四八枚目表三行目までを、「諸検査の結果、一例をあげれば、同月二八日同病院眼科に依頼した診察で眼球突出との診断がなされたことなどを総合して、当初の予想どおり正五郎の原疾患は甲状腺機能亢進症(バセドウ病)であると診断した。同第二内科では四〇歳以上のバセドウ病患者に対しては、特別な場合を除いてアイソトープ治療をする方針が定まつていたため、同医師もこれに従つて正五郎に対し同療法を加えることにしたが、右の如く慣例上当然のことであつたので、アイソトープ治療をする予定である旨を診療記録や看護婦に対する指示書に記載することはしなかつた。」と改める。

2  四八枚目表四行目から同丁裏九行目までを次のとおり改める。

「(二) 右治療方針決定に先立つて同月二六日、斎藤医師は、周期性四肢麻痺の自然発作が起こつた場合(起立不能時)には、塩化カリウム腸溶錠三グラムを投与し、それでも発作が治まらない時は更に三グラムを投与するように指示した。入院後正五郎は麻痺の発作を起こさなかつたので、本当に周期性四肢麻痺の発症があるのかどうか未確認のままであり、また、周期性四肢麻痺には発作時における血液中のカリウム濃度が低くなる場合(低カリウム血症)と高くなる場合(高カリウム血症)とがあり(但し、後者は稀にしかない)、そのいずれであるかによつて治療方法が異なるため、発作が起こるかどうか及び起こる場合右いずれの病型であるのかを確かめる必要があつたのであるが、そのための検査実施前に自然発作が起こることもありうるので、最も蓋然性の高い病型を想定して右のような対症療法の指示をしたのであつた。

(三) 同月二六日斎藤毅医師によりA検査がなされた。同医師が属している糖尿病研究班に主治医から「今度甲状腺機能亢進症と思われる患者が入院したので、よろしく」との連絡が入院時にあつたので、これに応じて本判決「(請求原因に対する被控訴人の答弁と反論)」欄二記載の目的と方法によりA検査がなされた。同医師は主治医に対しこの検査をする旨連絡して了承をえたほか、前日正五郎にA検査の目的や方法を説明してその同意をえている。採取した血液の測定は中央検査部に依頼せずに同研究班でしたが、その方がより正確に、且つ、インスリン同時測定をすることができて患者にとつて望ましいからである。正五郎の死亡後測定が完了したため、その結果は診療記録に記載されないままとなつた。

(四) 同月二八日にBの血液採取、四月三日にC検査、同月七日にD検査がそれぞれ同欄三、四記載の目的と方法でなされた。C、D検査の実施は下垂体研究班で決定し、手の空いている布川医師が担当することになり、先輩の出村医師がその指導、相談に当つた。これらの検査結果も右同様の理由で診療記録に記載されずに終つた。

この間正五郎は、三月二六日のA検査後は気分良く過ごし、同月三一日は同室の患者と冗談を言い合つて笑うなど比較的元気であつたが、四月四日と六日には動悸を訴えている。

(五) 右(二)に判示した理由により、斎藤医師は実際に発作が起こるのかどうか、発作がある場合前記いずれの病型であるかの確認をするためインスリン・ぶどう糖負荷試験の実施を他の経験ある医師に依頼する考えてあつたが、四月五日頃、過去三名の患者に対して四回ほどこの試験をしたことのある(見学、手伝いを含む。)村田医師から、この検査をやるとの申出があつたので、同医師はこれを依頼した。当時この検査は周期性四肢麻痺が疑われている患者に対して殆どの大学病院及び大病院で慣例的に実施されていたものであつた。なお、脱力を訴える甲状腺中毒症には、周期性四肢麻痺のほか、甲状腺中毒性ミオパチー及び重症筋無力症があり、後二者でないことも明確になればそれに越したことはなかつた。」

3  四八枚目裏一〇行目の「(三)」を「(六)」と、同行から四九枚目裏八行目までに「本件検査」とあるのを総べて「E検査」と、四九枚目裏九、一〇行目のそれを「同じ検査」と、四九枚目表五〜六行目の「アスパラK等を準備した。」を「アスパラK、マニトール等を準備した。マニトールは血液の浸透圧を上げる(血液の濃度を濃くする)作用を有する薬剤であり、麻痺は血液中の水分が細胞内に移動することにより発生するとの見解があつたのに示唆された同医師が、発作後この薬剤を与えれば逆に細胞内の水分が血液中に戻り、その結果麻痺が治まるのではないかと考え、塩化カリ剤によつても麻痺が解消しない場合に使用して見る予定で準備したのである。」と、同丁裏一〜五行目の「静か」から「ということがあり」までを「約十五、六メートル離れた便所まで静かに歩いて行き、便所用下駄に履き換えて便器に向つて排尿後、戻ろうとして体の向きを換えた際その場にうづくまつたので、様子を見ていた看護婦は同便所斜め向いの看護室で待機していた村田医師に、具合悪くなつたと大声で呼びかけ、同医師とともに近寄つてみると、正五郎は青ざめた顔で冷汗を出していた。同医師が脈をとつたりした後、正五郎を手押車に腰掛けさせて病室に戻したということがあつた。正五郎は、こう気持悪いけれど、まあ大丈夫だ、大丈夫だ、と言つていた。」と各改め、同面六行目の「一〇二回であつた。」の次に「病室に戻つた正五郎は、遅めの昼食をとり、その後も脱力感を訴えていたが、それ以外は格別の異常はなかつた。」を同面一〇行目の「報告し」の次に「(但し、右排尿時のことは告げなかつた)」を各加え、五〇枚目表初行の「眩暈を起こした」を「具合が悪くなつた」と改める。

五F検査の実施と死亡までの経過

1  前顕甲第九号証の三、四(看護日誌)には、当日の経過として大要次のような記載がある。原審証人木村あきよの証言によれば、これは当日看護婦として勤務した同人が当時とつたメモ(但し一時四〇分、五〇分の分は他の看護婦のメモ)に基づいて同証人が後日記載したとのことである。

午前九時三〇分 インスリン二〇単位、五〇%ぶどう糖五〇〇cc点滴施行し開始す

一〇時三〇分 軽度の四肢麻痺、動悸あるも村田医師診察し、どうにか症状も緩和す

一一時四〇分 全身の脱力感著明、脈拍九八、結代あり、嘔気あり、嘔吐なし、口渇強く、うがいする、医師診察す

午後一時四〇分 顔面蒼白、発汗、全身脱力感あり 脈拍一一八微弱にして結代あり 口渇あり しきりに胸内苦悶を訴え、血圧七〇〜四〇mmHG

一時五〇分 医師の指示にて心電図、呼吸停止

二時 酸素吸入四・五l流出し、心臓マッサージ施行す 五%ぶどう糖五〇〇cc+アスパラk三筒点滴す アドレナリン三筒、ネオシネジン二筒、ノルアドレナリン二筒注射す

二時三〇分 重点治療室より医師往診蘇生器使用、吸引施行するもスプータ吸引されず

(以下省略)

2  原審及び当審証人村田輝紀の証言(以下「村田証言」という)の大要は次のとおりである。

(1) F検査をした四月一三日の前日は日曜日であつたので、一一日の午後病室に本件患者を訪ね、再度八日にしたのと同種の検査をしたいと伝え承諾をえた。嫌がつている様子はなかつた。

E検査の時と同様の準備をし、一三日午前九時頃正五郎の病室に行つて聴打診、血圧や脈拍の測定等をして本件患者の一般状態を把握した。心電図用の機械も用意させて運び込んだ。同人は握力検査の結果を自分で記入するなど協力的であつた。試薬の量と単位はインスリン二〇単位と五〇%ぶどう糖液五〇〇ccにして、九時三〇分頃点滴を始めた。約二時間で終了する予定であつた。その後自分は小用に立つとか、採取した血液の一部を遠心分離機にかけるため看護室向いの検査室まで行き、五分か一〇分病室を離れたことが何度かあつたほかは、終始被験者の側にいた。看護婦は始終いるわけではない。

(2) 開始後は、患者の脈拍、血圧、握力、筋力等を測定した。三〇分おきが原則であるが、一五分目にしたこともある。筋力測定は、握力のほか主に膝を曲げさせたり、自分が患者の足首を押さえて蹴る力を見る方法をとつた。下肢挙上はしばしばやると患者が疲労するのであまりやらなかつた。麻痺がどの程度誘発されたかを判定するのに一つだけの基準はなく、総合的に判断するほかないと理解している。

採血は九時、一一時、一二時、一時五〇分頃の四回やつた。心電図は一時三〇分までとらなかつた。

(3) 看護日誌に、一〇時三〇分軽度の四肢麻痺との記載があるが、誘発試験をすると麻痺が発生する前に、副作用として悪心、脱力、倦怠感、吐気、動悸が出たり、足がこわばつたりすることがあるので、看護婦はそのように受取つたのであろう。看護日誌にどのような記載がなされるかは医師の関知するところではないし、指示など全くしていない。右時刻に麻痺が発生したとは思つていない。甲状腺機能亢進症の患者は動悸を訴えることが多く、本件患者も検査以外の時に動悸を訴えていたこともある。

点滴の速度調節は意外に難しく、最後の方を非常に遅くすれば二時間丁度にすることもできたが、そうしなかつたので、予定より三〇分早く午前一一時に終つた。五〇〇ccを四、五十分で入れるのであれば早過ぎるが、九〇分なので特に問題はないと思う。

一一時四〇分時点の看護日誌に記載されているのも、副作用の現れである。検査開始前及び午前一〇時に約一分あつた下肢挙上時間は、一一時に約二秒に落ちたが、麻痺の前兆というよりも副作用からくるだるさのせいである。口が渇くというので一一時四〇分にうがいをさせたが、本件患者は上体を起こして自分でした。

一二時頃になると、副作用が殆ど消失し、全く苦痛を訴えなくなつた。それと同時に握力や足の力が少しづつ落ちてきた。一二時を過ぎてしばらくして麻痺が始まり、本件患者にとつての当日の麻痺の最高値になつたかなと判断したのは午後一時か一時少し過ぎの頃である。麻痺の最高値というのは、指一本動かないというような完全麻痺を指しているのではない。あくまでも、当該患者にとつての数値ないし状態のことである。

尤も、真に最高値に達したのかどうかは同じ状態が一時間程度持続しないと、そのようにはいえない。一時半までは血圧や脈を見たり、握力や足の蹴る力を測つたりしていた。患者は全く安定した状態だつた。その頃、麻痺が更に進行するかどうかの断定はできなかつたし、最高値に達したとしても、自然に麻痺がとれて回復するかもしれないので、朝食も昼食もとらなかつた本件患者が夕食をとれるようにしなければと考えてはいたが、それ以外は特に何時頃から回復措置を講ずるというような予定は立てていなかつた。

(4) ところが、一時半頃突然胸が苦しいと訴え、顔面蒼白、一見して重篤の状態となつた。直ちに心電図をとつたところ、これをとつている一、二分の間に不整脈はなかつたが、その直後に不整脈が出てきて、一時四五分頃には血圧が触診でしか測れない最高値四〇に下がつた。その前の一時四〇分頃、自分でコールフォンを押す暇も惜しかつたため、同室の別の患者に看護婦を呼んでくれるように頼んだ。看護婦に救急処置の薬液調製を指示するためである。

このような状態でいた時、たまたま先輩の小林勇医師が病室前の廊下を通る姿を見かけたので、呼びとめて心電図を示し、塩化カリの粉末を溶かして飲ませたらどうかと相談したところ、それでは追いつかないのではないか、飲ませること自体が困難ではないか、アスパラKを薄めて注射するしかない、との助言を得たのでそうすることとし、小林医師が電解質関係の専門家として暗算で出してくれた希釈率(六〜七倍)でアスパラKを薄めてもつてくるよう看護婦に指示した。この指示をして待つ間、一時五〇分頃四回目の採血をした。血清カリウム値を測り、その時の治療が正しかつたかどうかの判断資料とする必要があつたからである。

数分後右希釈液ができてきたので、脈を見ながら数十秒かかつて一、二ccという程度に徐々にゆつくりと静脈に注射した。しかし不整脈がますますひどくなり、患者の一般状態が一段と悪くなつてきたので、注射は小林医師に委ね、自分は心臓マッサージを始め、同時に人工呼吸も行なつた。この頃には患者の意識はなくなつていた。

(5) 当日前記検査室の遠心分離機にかけたのは電解質を測定するための血液だけである。採取した血液をしばらく放置しておくと、電解質の値が変化してしまうので、急ぐ必要があつた。一方、ヘマトクリツト値の方はこのような変化が生ぜず、むしろ各時間毎に採取した血液を一緒に測定する方が誤差が生じないので、検査終了後まとめてするつもりであつた。

マニトールは使用していない。甲第一二号証の二(診療報酬請求明細書)にマニトールが記載されているが、薬局から取寄せた薬品を使用しなかつた時は返還伝票に現物を添えて返すことができ、そうしておけば右請求書の記載も抹消された筈であるが、混乱裡に失念してしまつただけのことである。また、マニトールは結晶になつており、それを温めて溶かすのに二〜三〇分かかるので、直ぐには使えないのである。

3  村田医師の証言は凡そ以上のとおりであり(午後二時頃以降の部分は省略)、看護日誌の記載と多少相違する部分の説明も納得できないものではなく、書証として提出されている医学文献上の知見と乖離しているわけでもないので、同医師が当日本件患者についてした容態ないし状況の認識内容及び同医師の行動については結局証人村田が右にいうとおりであると認定せざるを得ない。けだし、村田証言以外に右状況等を伝えるものは原審及び当審証人木村あきよ、原審証人中里武の各証言であるが、前者は看護日誌の内容と同旨であり、後者の村田証言と相違する部分は伝聞であるのに加えて、これを左右する証明力を有するとは断じ難いからである。

午後二時頃以降の事実及び各種測定結果についての当裁判所の認定及びこれに供する証拠は、原判決五〇枚目表四行目から五三枚目表三行目までの該当部分に記載してあるとおりであるから、これを引用する。

六死因について

被控訴人は何らかの特異体質によるショックであろうというが、解剖所見のない本件では病理学的にはもとより、他にもこれを肯認すべき証拠はない。解剖に付さなかつた理由につき、原審証人斎藤慎太郎は、遺族の心情を思えば解剖の承諾を求めるのは忍びなかつたからであると証言する。そのような配慮をした点は理解できないわけではなく、遺族が承諾したかどうかも保し難いが、同証言によれば、第二内科の剖検率は八、九十パーセントに上つていたこと、その後暫くは死因について同科内で検討されることがなかつたが、約一年後の症例研究会でカリウムの投与が適切であつたかどうかとの議論がなされたことが認められるので、これらの事実からすれば、死因そのものではないにしても、これに至る原因について関係者には或程度の心当りがあつたため、右承諾を求めなかつたのではないかとの推測をすることもあながち不可能なことではない。

一方控訴人らはマニトールを使用したことが死に至らしめたのであるという。しかし、五2の(5)に摘記した村田医師の証言を排斥してマニトールが使用されたとの推定を可能にする証拠はないので、控訴人らの主張は前提を欠き採用することはできない。

七被控訴人の責任の有無

右の如く死因は結局不明であるが、広い意味でF検査が原因になつていることは村田証言からも明らかであり、前段までに判示したところからすると、当日午後一時三〇分以降における救急処置、殊にカリウムの投与方法や量が適切であつたかどうかを直接の反省点として指摘することができる。しかし、前記の症例研究会では結論が出なかつたというのであり、死因が不明でもあるため、とられた処置が不適切なものであつたとか、適切な処置がとられていたならば結果を回避することができたと確信することもできない。

村田医師は、一二時過ぎ頃から午後一時半頃までは患者の状態は全く安定していたのに、一時三〇分突然重篤に陥つたという。当裁判所もそのように認定したのであるが、検査のための点滴は午前一一時に終り、その後約一五〇分の間薬物投与は一切なされず、何らの刺激も加えられた形跡もなく安定していたのに、突然ショック状態になるというのは何としても解せないことである(控訴人らは、午後一時頃マニトールが投与されたのに相違ないと主張するが、その事実を認めえないことは前判示のとおりである)。同医師は一二時頃までの患者の状態変化を総べて副作用によるものとし、且つ、これが被験者に及ぼす影響を重視していないが、副作用が付き物であるとの理解から来る思い込みがこの判断を誤らせたのではないかとの疑問の生ずるところである。

麻痺誘発という、重疾患に属する本症と同じ状態を人為的に現出させ、副作用として人体の最重要器官である心臓や胃腸、神経組織に負担をかけることの明らかな試験を実施する医師としては、これが危険であると警告する文献の有無、その知不知に関わらず、死亡、障害等の結果が生じないようこれを回避する義務を負つているというべきである。この義務を尽くしたといいうるためには、結果回避の可能性のあつたことが必要であるが、午後一時三〇分以降の救急処置如何によつては救命しえたかどうかいずれとも言い難いところであるにしても、このような重態に陥る以前に適切な処置を講じてさえおけば、これが可能であつたことは本件の場合自明である。

原審鑑定人里吉栄二郎の鑑定結果によれば、「試験の中止および麻痺回復の措置はこの誘発試験によつて明らかな麻痺が起こつた場合直ちに行われるのが普通である。……上下肢、殊に下肢に中等度以上の明らかな弛緩性麻痺(握力が試験開始時の半分以下ないし一〇キログラム以下となり、下肢の挙上が不能となるなど)を認めれば回復措置に移るのが普通である。回復措置は早めに行はないと効果を示す迄に麻痺が進行してしまうので、可及的速やかに始める必要がある。麻痺がなくとも一般に副作用が高度で激しい頭痛と共に悪心、嘔吐が起こつたり頻脈や不整脈が生じたりして、試験完了迄たえられない様な一般状態の悪化が起れば直ちに中止すべきである。……甲状腺中毒性周期性四肢麻痺では……副作用の出現頻度が高いために充分な観察が必要である。回復措置としては麻痺が強くならぬうちに塩化カリ五〜一〇グラムを服用させる。一般には始め三グラム程度を与え、一、二時間毎に一〜二グラムを麻痺の回復する迄与えるのがよい。」とのことであり、この見解を非とすべき的確な証拠はないので、前顕甲第五号証の一八(村田医師作成のグラフ)により下肢挙上時間が約一秒、握力が試験開始時の半分以下となつた時刻と認めうる午前一一時三〇分頃か、或いは村田医師の判断の如くこれを副作用の影響によるものと見るとしても、同医師自身が麻痺が始まつたと判断した一二時過ぎの時点で右のような回復措置をとるべきであつたといわなければならない。その頃にはカリウムの値も開始前の四・〇から二・五以下に下がつていて、病型確認の目的も達していた筈である。

村田医師はこれを怠つた結果回避義務違反の過失があつたというべきである。

また、<証拠>によれば、同種検査を実施する場合、第二内科においては、被験者に不整脈や脈拍数の著しい変動が出たり、苦痛を訴えたり、麻痺が生じた時等には心電図をとることになつており、過去の例でも約三分の二の被験者について心電図がとられたことは村田医師も承知していた事実であり、心電図による観察をしていれば血清カリウムの濃度変化を大まかながら知ることができて、心臓に生じた急激な異常にも速やかに対処できる利点のあることが認められるので、村田医師としては、遅くとも一二時過ぎ頃副作用が消失し麻痺が始まつたと判断した時から心電図による監視をなすべきであつた。ところが同医師は心電図用の機械を側に置いて用意はしていたものの、午後一時三〇分頃まで使用しなかつた。一二時過ぎ頃から心電図による監視を始めておれば、たとえ回復処置を講ずるのが多少遅れたとしても、緊急時に適切な対応をしえたと考えられる。この意味でも同医師にはかかる試験を実施する者が尽くすべき注意義務を怠つた過失があるといわなければならない。

村田医師が被控訴人・大学病院第二内科に所属していた医師であり、F検査は同病院の事業の一つである入院患者に対する診療の執行としてなされたものであることは本件弁論の全趣旨に徴して明らかである。

以上を総括すると、被控訴人の被用者である村田医師が被控訴人の事業の執行としてしたF検査に前判示の過失があり、これにより本件患者がその生命を失つたのであるから、被控訴人は同医師の使用者としての損害賠償責任を負つているというべきである。

控訴人らは、既に甲状腺機能亢進症に伴う周期性四肢麻痺との診断が確定していたので、AないしFの各検査は不必要であつた、これらは総べて研究のための違法な人体実験である、すべきでない行為をした故意、過失が本件患者死亡の原因である、とも主張するが、控訴人ら主張のような人体実験なる特殊な不法行為類型を認め難いことは先に判示したとおりであるほか、(1) 日常的な診療行為については医師は患者から事前に包括的な同意を与えられ、(2) 診断、治療のため必要、十分且つ適切な行為の選択は、当時の医学の到達した範囲内で医師の裁量的判断に委ねられていると言いうるところ、B検査は(1)に該当し、Bを含む全部にそれぞれの目的と理由があつたこと及びB以外の検査に本件患者の承諾があつたことは前判示のとおりであり、全検査とも裁量の範囲を逸脱したものとは解されないから、総べて違法な行為には該当しない。周期性四肢麻痺誘発試験を実施するに当たつては前記の注意義務ないし結果回避義務が課さられているが、そのことと該試験がこれを実施すべきでないほど危険なものであるか否かとは全く別問題である。当時各地の大学病院や大病院でこの試験が実施されていたことは先に判示したところであり、前記鑑定の結果によつてもこれをなすべきではないとされていなかつたことが認められるから、この点に裁量の誤りはない。控訴人らの右主張は採用できない。

八損害

損害についての当裁判所の認定、判断は、次のほかは原判決理由の当該欄(六七枚目裏六行目から六九枚目表一〇行目まで)の記載の同じであるから、これを引用する。

1  正五郎の慰藉料と相続

上来判示した正五郎死亡の情況、その年齢、職業など一切の事情を考慮すれば、同人が被つた精神的損害に対する慰藉料額は一二〇〇万円と認めるのが相当である。控訴人らはその三分の一に当たる四〇〇万円づつを相続したことになる。

2  弁護士費用

本件事実の内容、審理経過、認容額等を勘案すれば、一、二審の弁護士費用として控訴人らが被控訴人に対して賠償請求しうる金額は控訴人ら各自二〇〇万円づつとすべきである。

3  右のとおりであるから、不法行為を理由とする控訴人らの請求は、控訴人京子は一四四三万四八八四円、同正則、同利明はそれぞれ一四一三万四八八四円及び右各金員に対する正五郎死亡の翌日たる昭和四五年四月一四日以降完済までの民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は失当である。

(仮執行に対する原状回復請求について)

控訴人らは原審で債務不履行に基づく請求の一部を認容されたが、当審では控訴人らの前記請求併合の態様の変更により不法行為を理由とする主位的請求を一部認容されたのであり、その認容額は控訴人らの主張に鑑みれば債務不履行を理由としても増えることはないから、当審の判決が確定すれば、原審で認容された訴につき取下の効果が生じ原判決は失効することになる。

そして原判決の仮執行宣言に基づいて控訴人らが被控訴人主張の強制執行をしたことは当事者間に争いがないので、被控訴人の原状回復請求は全部理由がある。

(結論)

よつて、不法行為に基づく控訴人らの請求は、被控訴人に対し前記損害欄記載の各金員の支払を求める限度で理由ありとして認容し、その余を失当として棄却し、仮執行の原状回復として、控訴人京子に対し金一八三七万六〇五七円、同正則、同利明に対し各金一五二〇万五五二二円及び右各金員に対する仮執行の翌日である昭和五二年一一月八日以降完済までの民事法定利率五分の割合による損害金の支払を命ずることとし、民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条、一九八条に従い主文のとおり判決する。なお、右支払いずれについても仮執行宣言の必要はないものと認めて、これを付さないこととする。

(裁判長裁判官輪湖公寛 裁判官小林啓二 裁判官木原幹郎)

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